away from me

何を書けばいいのか、書きたいことがありすぎて、もう何も書かない方がいい気もして。
でも書こうと思って、ふとあなたの音楽を聴くといつでもあの頃に戻されて、「さあ、やらなければ」という気持ちにさせられて。
もうあなたがいなくなった日常を生きているんだなーってぼんやりしたような現実感がないような。それでも否応なしに時は流れていくし、生きていかなければならないし、仕事もしなけりゃ、ご飯も食べなけりゃって、当たり前のことを当たり前のこととして過ごしていくのがなんだか辛いです。



15歳の夏に雑誌でブッチャーズの存在を知り、次第にのめり込んで、気がついたら生活から切り離せないものになっていた。ブッチャーズを通して、今でも大切な沢山の友達に出会えた。
吉村さんのことを、ブッチャーズのことを好きだって言う人達が好きだった。
bloodthirsty butcherseastern youthfOULNAHT、COWPERS、NUMBER GIRL...集まればそんな話ばっかりしてた時があった。
爆音の美しさ、轟音の向こう側にある優しさを教えてくれたのも吉村さんだった。初めて間近でライブを見た2001年10月10日の磔磔のことは未だに焼き付いていて僕を捕らえて離さない。

4人になってからも、ずっとヒーローはヒーローのままだった。尖ってた僕らはブッチャーズから少し距離をおいたときもあったけれど、でも皆集まればブッチャーズの話してた。同志社大学の学園祭で村山とdOPPOの橋本、ちゃんまりと一緒に拙い手紙(京都でオススメのラーメン屋はここです!とか意味分からないこと書いてたな)をしたためて渡そうとしたことなんて昨日のことのように覚えてる。

いつかブッチャーズと同じステージに立てたら…認めてもらえたら…って、ただひたすら心の片隅にはあり続けた。バンドを続けて、いつもどこかに存在があり続けていた。
2008年に山形のDO IT!で初めて同じイベントに出ることが出来た。ステージも日割りも違ったけれど、Tシャツに名前が並んでる、それだけで誇らしかった。「ギタリストを殺さないで」をそこまで聴き込んでなくて、レコ発にも行かなくて、そんな僕らを完全に打ちのめしたあの日のライブ。気高くて、美しくて。自分たちはまだまだだなーって。

2010年4月25日にFLUIDが企画してくれて、初めて京都で共演出来ることになった。嬉しすぎて良く分からないくらいだった。
ただただ必死にライブをやった。
吉村さんのMCの第一声
「bedが良かったんだよ!」
震えが止まらなかった。涙が出た。「僕らのやってきたことは間違ってなかったんだ」って思えた瞬間だった。当時僕は東京で働いていて、バンド活動に対しての不安や出来上がったばかりの作品への反応にとてもナーバスになっていた時期でもあった。
勇気を出して初めて音源を渡した。発売前だった「ON OFF」。

ライブ翌日の月曜日、WE ARE!板垣さんから夜中に電話があり、「吉村さんがmixをやり直せって言ってる!」びっくりした。mixはやり直せなかったけれど…。ちゃんと聴いてくれたんだ、って。
twitterで僕らの名前頻繁に出してくれて、現実感無さすぎたけれど、自信につながっていった。あの日がなければ絶対に今こんな形でバンドを続けられていないと思う。

それからは東京にライブをしに行くときは見に来てくれたり、広島でも共演。弾き語りでは京都で二度一緒にやらせてもらって。その度少しずつ話をして。名前を覚えてくれて。
広島でメンバー4人にくれたタオル、皆ライブの度に使ってます。メンバーは皆あんまり多くを語らない人達だけど、多分嬉しかったんだろうな。
僕は「バンドとして吉村さんに認めてもらいたい」ってことをやる気に変えてきた。だから、覚えてくれて話せるようになっても、サインをもらったり、写真を撮ったりもしなかった。
「いつかブッチャーズに呼んでもらえるようになったら、その日のフライヤーにサインをもらって写真も撮るんだ」って、バカみたいに青臭いけどそう思ってた。
吉村さん、俺まだ写真も撮ってもらってないよ。

Climb The Mind、CARD。近い所にいると思ってたバンドがブッチャーズの企画に呼ばれたり、企画に呼んだりするようになった。めっちゃくちゃ悔しかった。「なんで俺たちじゃないんや!」って、本気で悔しかった。「絶対ブッチャーズに呼ばれてみせる!それまでは絶対俺たちでは呼ばない!」って、意地になってた。今も。
だから去年の末大阪で、「次はお前らとHello Hawkを呼ぼうと思ってるから。それまでに若いバンドに抜かれんなよ!」って言ってくれた時は震えた。
俺たちに夢を見せたままいなくなるなんて、冗談もほどほどにしてほしいよ。

雪の降る京都の夜、二条の天下一品で話してくれたこと。
「バンドってのは、作品ってのは、必ず前の作品に対して答えをださなきゃいけないんだ。」
あの一言がずーっと残ってます。
いつもどこか満足していないように見えた吉村さんの本質がそのとき少し見えた気がしたんだ。
この人の見てる景色を少しでも見てみたい。そう思った。
だから俺は、やります。僕らは、やります。吉村さんがどんな景色を見ていたのかは一生分からないけれど、一生あなたに並ぶことも、追いかけることも出来なくなってしまったけど、やります。
あなたは、本当に全てでした。あなたがいたからギターを弾いて、歌を歌っていました。うまくもないけどやってきました。だから、見てて下さい。俺のGコード、いつかあなたも聴いてくれると思って、鳴らすから、見てて下さい。
3枚目のアルバム、「吉村さんは何て言うかなー」と思った瞬間が沢山ありました。
まだ制作途中だけど、あなたのことも思いながら、完成させるので、出来たら絶対聴いて下さい。

笑いたいが為になお ギター弾いて歌ってる
これしかないと今 ギター弾いて歌ってる